仏心と煩悩

心には不生の仏心や無位の真人があるとともにその心から生じる煩悩がある。私が坐禅をしたり、読書をするのは、不生の仏心が命じるからではなく、煩悩によるのである。煩悩によって坐禅し、少し悟ったり、公案が解けたりすると煩悩は盛んになる。坐禅や悟りや公案が煩悩を盛んにするとは。不生の仏心や無位の真人のままであれば坐禅をしたりしようという気にはならないのではないか。