安田美沙子さんとは無関係です。

最初にお断りいたします。
日記のタイトルが、「yasuda-misakoの日記」となっておりますが、安田美沙子さん本人の日記ではありません。日記を書いているのは、女性ですらありません。男性です。安田美沙子さんとは何の関係もありません。ごめんなさい。ただ、安田美沙子さんのファンではあります。
さて、これからここに何を書くかが問題です。
私にとって興味のある「禅語」について書いていこうと思います。
「一日一禅」語と言うことにします。
会社勤めをしているので、毎日続くか自信ありません。
臨済は自信をもたなければだめだといっていますが。

◎日々是好日
これは雲門和尚の禅語である。
仏の世に善悪がないように日々に好悪の日がないと思っていたので、日々是好日という言葉は悟りの境地を表す言葉ではないと思っていた。しかし、今はこの言葉が有難く思われる。日々に好悪の日がないから全ての日が好日なのである。我々が生きている限り全ての日は好日なのである。どのような苦しい日であっても好日なのである。有難い日なのである。苦しいと思えるものも有難いものとなる。日々是好日ということを噛み締めながら日々を生きていきたいものだと思う。
天気のよい日は有難いと思う。しかし天気の悪い日も有難いのである。好天も悪天も私と同じである。流れている気は同じである。好天も悪天も私も同じ自然のものである。つまり、私は自然そのものとして存在している。天地に充ち満ちている草木などの自然のものと同じく私は存在している。天地の自然に好悪がないように私にも好悪はないし日々にも好悪はない。好悪がないから好日なのである。
私たちを心地よくする冬の日の光、我々を震え上がらせる冬の寒風。それらは私と同じものである。私そのものであるから、私は日の光と寒風を受け入れる。日の光も寒風も好きものである。