曲順人情(曲げて人情に順って)

臨済は、成徳府知事の王常侍に説法を請われ、法堂に登って言った。「山僧今日、事已むことを獲ず、曲げて人情に順って、方に此の座に登る。(私は今日、やむを得ず、私の気持ちを曲げ、人情に順って此の座に登った)」と。臨済のような超人は義理や人情によって動く人ではないと思っていた。意のままに自由自在に生きる人だと思っていた。それが、成徳府知事の王常侍に請われたとはいいながら、気の進まない説法をすることになったというのである。
この話は、私の気持ちを少しは軽くしてくれる。私も気の進まないことを義理や人情を口実にしてすることができるし、臨済も気の進まないことをしたのだから、私は臨済以上に気の進まないことをしなければと思う。臨済が耐えたように私も耐えようと思う。臨済のような人でさえ世俗から逃れることができないのだから、私のようなものはなおさらだ。私は、世俗にまみれ、悟ることなく死んでいく身だ。事已むを獲ず、曲げて人情に順って生きていかん。