死刑はこうして執行される

村野薫著「死刑はこうして執行される」を読んだ。興味深い話が一杯書かれていて、それを題材にして書けばこの日記も数日続けられれるあろう。
死刑の執行は、役所が休みの土日には行われないらしい。そのため死刑囚にとって土日は執行の恐怖がなく、くつろげる48時間だそうである。このようなことを読むと笑いたくなる。我々も死刑囚と同じだからである。土日は我々にとってもくつろぎの日であるからである。勿論、くつろぎの日であっても死刑囚と我々とでは、くつろぎの中身が違うことは解っている。死刑囚にとっては死の恐怖からの解放であり、我々にとっては束縛からの解放である。土日が過ぎれば、月曜から死刑囚には死の恐怖が、我々には会社の束縛が待っている。
我々と死刑囚との違いは、社会(会社)の束縛を受ける身と、死の恐怖に打ち震える身だけの違いであろうか。死刑囚は拘置所の中の狭い空間の中で束縛を受けている。我々は拘置所よりは広い空間で束縛されている。死の面から見れば、死刑囚も我々もいつかは死ぬのだから、同じだとも言える。ただ、死刑囚の場合は、死刑確定から平均7年ぐらいで死刑が執行され、確実に死んでいくことになる。我々の場合は、7年後に必ず死ぬと言うことはない。しかしながら、我々には無常の殺鬼が、一刹那の間に貴賤老少を選ばずに襲ってくると臨済は言っている。我々が通勤のために家を一歩出たら、生きて帰ってくるとは限らないのである。我々と死刑囚との違いは死の確率の違いである。死刑囚が死を意識して生きているように、我々も少しは死を意識して生きていくべきだと思う。